第5回「東京Food-trip ラオス編」レポート

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ラオス、食べたことありますか?

料飲稲門会・常任理事 遠藤博之

令和2年1月25日、「フードトリップ」の初旅はインドシナ半島の内陸国ラオスである。ラオスについてはよく知らない、旅したことがないのだ。生来の好奇心がくすぐられ、かなり前、石毛直道の講演録『魚醤とうま味の文化圏』(味の素、1986)で東南アジアの魚醤文化に興味を惹れた記憶がよみがえってきた。

夕暮れの六本木を会場に急ぐ。麻布税務署に近い駐日ラオス人民民主共和国大使館の一階ホール。大きなテーブルが数脚、参加者約50人。主催者挨拶の後、ウィロード・スンダラー駐日特命全権大使のスピーチ。「日本からの投資促進」「観光振興」を強調する内容だった。続いてスリーデート・セングマニー三等書記官がラオス各地の映像で観光ポイントを解説する。ラオスは南北に長い国土で、北の中国雲南省から時計回りにベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーの5か国に囲まれている。

日本の本州に匹敵する面積に690万人ほどの人口、豊かな水と緑、高原と山岳地帯がある。さしずめ東南アジアの信州だ。タイとの国境には蕩々とメコンの流れが1000キロ以上ある。日本はラオスにとってODAをはじめ最大の援助国である。今年は日本・ラオス外交関係樹立65周年に当たり良好な関係が継続されている。社会主義体制だが人口の70%以上が仏教徒、タイ族系のラオ族が国の中心をなし多民族で構成されている。国際的には貧困国と言われているが、この国には食糧危機がない。つまり「食足りた人々」が暮らしているのだ。

さて宴だ。まずはBeer Laoで乾杯、のどごしさわやかで噂どおりイケる。レセプション・メニューには八つの料理名、「これがあれか、あれがこれだな」と皿に盛りつける。Khai Pian(軽く揚げた川のり)、Sai Oua(ラオスソーセージ)がビールによく合う、気に入った。同席の酒豪川原副会長は満面に笑み、アルコール度がかなり高い米焼酎Lao Laoをクイクイと飲んでいた。Larbは刻んだ鶏肉をミントやライム汁で生野菜と和えた代表的ラオス料理の一つ。この国の人は生野菜をバリバリ食べるようだが、魚醤も隠し味に使われているはず。

最初は香菜が苦手でも案外ハマりそうな健康サラダである。ラオスの主食であるKhao Niew(蒸したもち米)にバナナの葉で包んで蒸したMok Pa(魚のすり身に野菜が混ぜてある)をのせて食べた。米粒が長いインディカ種のもち米だ。ラオス人は箸を使わず指でつまむようにカオ・チャオにおかずをのせて口に運ぶそうだ。そうめんに豚肉ミンチ・魚肉と野菜をココナッツミルクで作ったスープをぶっかけて食べるのがKhao Poun。スープは熱めにしてくれた方がいいかな。椀をのぞいた時の色彩感が気に入らないが、それは好みの問題。コリコリと歯ごたえのある賽の目の白いものが沈んでいたので、「これなに?」と訊いたら「豚のナンコツ」だと。膝の痛みが消えるかな?

ラオス料理はタイ、カンボジア、ベトナムの影響が大きいと聞いていたが、香菜や香辛料は総じて控えめであるように感じられた。私の関心事である「料理と魚醤の濃密な関係」も確認できなかったが…。

食後は大使夫妻が率先し、参加者も踊るラオス民族舞踊体験。のんびりと和やかな雰囲気と笑いが広がる、これがラオス気分か。「OMOTENASHI」を売りにする日本人が少し恥ずかしい。

会長・桑原才介の謝辞。「日本のエスニック料理は7~80年代、代々木のカンボジア料理から始まり、タイ・台湾・韓国・ベトナム料理とブームを起こした」、「日本の外食市場も成熟の時代だが再度エスニック料理が注目される時が来る」と予言。「ラオス料理は知られていない。日本人の舌に合わせるというのではなく、もっと自己主張して妥協する味ではなく個性を出すことだ」と高評を付け加えた。この日のためにご尽力くださった大使館関係者の皆様、後援の川崎商工会議所の皆様、この場を借りて御礼申し上げたい。帰路、大寒の外気が冷たい。六本木ヒルズの脇道を歩きながら思った。このちょっと近くに、なぜか心温まる空間があったんだ…と。して、うまかったんですか? よろしいんじゃないですか、おいしい時間でしたよ。

第2回「東京 Food-trip アフリカガンビア篇」レポート

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 30年以上前のことになる。東アフリカ3国を2度ほど訪ねた。そのときの強烈な印象が今でも脳裏にあり、「アフリカ」という語感に惹かれ参加した。以下にレポートする。

                    [早稲田大学料飲稲門会・常任理事 遠藤博之]

浜松町アフリカ料理店「カラバッシュ

 カラバッシュは西アフリカのマリ、セネガル、コートジボアールのメニューを中心にした、数少ないアフリカ料理店の一つ。席数50ほどに個室とバーカウンター、店内はアフリカ一色のインテリアである。単にレストランというだけではなく、アフリカ文化を紹介する空間として運営され、週末にはアフリカ音楽のライブも行われている。ちなみに店名カラバッシュは、植物学上アフリカが原産と言われる「ひょうたん」の意味。原種のアフリカひょうたんは日本のそれとは似ても似つかない、大から小まで様々な容器や日用品に活用されるすぐれモノである。

ピエール・ベアイ氏のガイダンス

 ベアイ氏はICUに留学のためガンビア共和国から来日した。プロフィールは料飲稲門会サイトでご参照を。画像を映しながら「国の概要、産業・生活・文化、主な料理」などが約30分間紹介された。西アフリカに位置するガンビアは、ガンビア川の大西洋河口から内陸へ約300kmの沿岸に沿った細長い国土で、大陸55ヵ国中最小の国だ。1965年独立、人口約220万人、イギリス連邦の一員で英語を公用語とする。 さて、主題の料理である。ベアイ氏は国軍の文官で「自分は料理が上手だ」と自慢していた。紹介された5つの料理は、総じて複数の野菜・豆類や肉・魚をトマトソースやピーナツ油で煮込み、香辛料を加え、蒸した米や雑穀にぶっかけて食べる料理である。「味・香り」は想像するしかない。紹介された5つのレシピには、Benadin=Wolf族、Domonda=Mandinka族、Mobahal=Jala族、Yassa=Wolf族、Cherreh=Fulani族と部族名がついていた。小さな国でも10近い部族が共存しており、まさにアフリカの多様性を端的に象徴している。地域、生活習慣の異なる部族食文化が、長く複雑な歴史の中で脈々と受け継がれているわけだ。

試食メニュー

 前菜にブッサというコロッケ、蒸したチキン、ネムという春巻き。コロッケの餡はヤムイモの粉を団子状にしただけ、柔らかく天然の味だ。できれば熱々で食いたかった。チキンの蒸し具合は上々、春巻きはう~ん、というあたりか。トマト味のシチュー、野菜を煮込んだスープ・カンジャ、骨付きのチキンを玉ねぎなどと煮込んだチキンヤッサに、おそらく蒸したであろうクスクスやゴハンが別皿で給された。スープ・カンジャのねばねばはオクラであろうか。想像していたより香辛料やハーブの香りは強くなく、何かを主張する強烈な味覚はなかった。煮込み料理はもっと熱いままで食したほうがいいのではないか、次の機会に試してみたい。

アフリカ食文化について

 広大なアフリカ大陸の食文化をひとくくりで語るのはむずかしい。食文化情報も決して多くない。サハラ砂漠以南のいわゆるブラック・アフリカ(東・西・中央・南アフリカ)は、北の地中海沿岸の気候・民族・文化とおおきな差がある。ブラック・アフリカ諸国相互にも多岐・多様な違いがあり、アフリカを理解するとは、まさにその多様性を探ることである。

 さてガンビアは、サハラ砂漠の最西端、大西洋に面したセネガルの南部に包み込まれるように位置している。セネガルはフランスの旧植民地で、あの「パリ⇒ダカ」のゴール・首都ダカールがある国だ。セネガル料理は西アフリカで最も洗練された料理と言われ、パリにはセネガル料理レストランが結構ある。ガンビア料理は似ているのではないか。このセネガルを軸に、各地をフィールドワークした言語・民俗学者の小川了は、アフリカ食文化の特徴を次の3点に要約している(『世界の食文化⑪ アフリカ』農村漁村文化協会)。

 ◎主食とおかずの区別がない(蒸した雑穀やコメに煮込んだ料理をぶっかけて食べる)

 ◎食物を咀嚼しないでのみ込む(食材は臼に入れ杵で搗き、煮込んだものが多い)

 ◎熱くして食べる(油で熱した料理でも器用に4本指でまとめて口に流し込む)

シンプルな定義だが、食文化の奥深さもうかがえる。 食文化の理解には、まずアフリカの多面性を知り、その多様性の淵源を探究することではないか。西アフリカには、歴史的にヨーロッパとの交易を示す胡椒海岸、象牙海岸、黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸の名が残されており、長い植民地時代があり、アラブやヨーロッパの影響を受け入れたことと、かたくなに土着の文化性を継承する食文化が形成されている。実に興味深い。そうそう21日にスポーツニュースの話題をさらったNBA指名の八村選手、そしてテニス界の女王・大阪なおみ、陸上短距離日本新のサニブラウン・ハキームら、平成生まれ3人の父方ルーツは西アフリカである。彼らの好物、牛丼やカツ丼はかの地で流行るだろうか?

謝 辞

P.ベアイ氏は国際平和活動に将来のキャリアをかけている。当イベントへの協力に感謝するとともに今後のご活躍を祈りたい。奇しくも20日はUNHCR「世界難民の日」で、世界中でイベントが行われていた。そして、ロータリークラブの野口四郎氏、通訳の筑波大研究者・宇野かおりさんに、心からの感謝を申し上げたい。