【スペイン編】古都クエンカにて、プロのばあちゃんと暮らした日々②

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オムレツサンドの午睡

クエンカ在住の「プロのばあちゃん」、イサベルの朝は早い。

甘い香りと油の匂いで、私は目を覚ました。

時計を見ると朝7時。

大学の夏休み中にそんな早起きをすることは滅多にないので、ちょっと得した気持ちで身体を起こす。

胸を高鳴らせてキッチンへ向かうと、イサベルが鼻歌を歌いながらキツネ色の細長い物体を油で揚げているところだった。

「¿Qué es esto?(何これ?)」

挨拶もそこそこに鍋の中を指差す。

「¡Churro!」

チュロって、チュロスのこと?

この太さで……?

私の知るチュロス像とあまりにもかけ離れた姿に、呆然とする。

私の知ってるのは、日本のミスドやファミマに鎮座する、親指くらいの太さに繊細なヒダが何本も入っていて、そこに砂糖や油をぎっしり溜め込んでいる、罪深き高カロリースイーツだ。

いま私の目の前で「チュロス」と呼ばれているのは、長さ、太さともにふ菓子サイズの棒である。

キリリとしたスタイリッシュな日本のチュロスとは違う、輪郭がぼややんとゆるんだ小麦粉の塊。

これが本場のチュロスかぁ。

いったいどんな経緯でこのチュロスがあのチュロスになるんだろう。

チュロスが揚げられている隣では、ホットチョコレートが温まっていた。
甘い匂いの正体はこれだったようだ。
温めた牛乳にチョコレートを割り入れて溶かすのだと、手振りでイサベルが教えてくれる。

とろんとろんのホットチョコレートをマグカップなみなみに注いでお皿にチュロスを盛った彼女に促され、小ぶりなテーブルに二人で座る。

朝ごはんはキッチンの中に置かれたこのテーブルで、ラジオを聴きながら食べるのがこの家の習慣らしい。

ナイフとフォーク、ナプキンを並べて、手を合わせる。

まずはチュロスにナイフを入れ、口に運ぶ。

カリッ、サクッ。

オリーブオイルが香り、ほんのりとした塩気が口に残る。

本場のチュロスは、見た目よりずっと軽やかで、シンプルな味わいだった。

イサベルに勧められてとぷりとホットチョコレートに浸してみると、一気に贅沢な味わい。

ほろ苦くて香り高いチョコレートとカリッと揚がったチュロス。
一度チョコレートに沈めたチュロスを食べてしまうと、チョコなしバージョンが物足りなく感じてしまうほどのおいしさだ。

支度を済ませて学校に行こうとしたら、イサベルがちょいちょいと手招きした。

戸棚から出した角瓶を指差して、ちょっと飲んでみろという。

飴色の液体がとろりとショットグラスに注がれる。

あの、匂いからしてお酒なんですけど。

それもかなり度数の高そうな。

これはいったい……?

「チャンパン」

ええっ。絶対違うよ。

私の知ってるシャンパンは、なんか泡立ってて、もっとスッキリした色で、ていうか登校前にお酒なんて……

「チャンパン」

私の口ごたえもなんのその、イサベルは自分のグラスをクイっとあおり「はよ飲め」と催促する。

仕方ない。こんなことでホストファミリーとの間に亀裂を生じさせるわけにはいかない。

覚悟を決めてそっと口に含むと、甘ったるい液体がゆっくりと喉を下っていく……「うんま!!」

いかん、つい日本語で言ってしまった。

「¡Es rico !」

とスペイン語で言いなおすと、イサベルは得意げに胸を張った。

「チャンパン」が通った喉がヒリヒリ痛み、鼻からアルコールが抜けていく。

お腹の底からぽかぽかしてきた。

あー、幸せ。

機嫌よく学校へ向かう。
家から学校までは、25分ほど。
ほとんど道なりで道が覚えやすいうえ、綺麗な川が下を流れていたり小洒落たカフェがあったりと、歩いていてとても気持ちのよい道だ。

私の通っていた語学学校は授業は午前と午後に分かれていて、午前中は教室で文法や単語をしっかりと教わり、午後は陶芸やフラメンコ体験、美術館や山登りなどの課外授業を楽しむ、かなり緩い学校だった。

しかもこの午前と午後の授業の間には、シエスタの時間が挟まっている。

授業や仕事の真ん中で一度家に帰ってお腹いっぱいお昼ご飯を食べ、たっぷりと昼寝をとってから再び勉強ないし仕事に取りかかる。

日中にこの大きな休息を挟むことで得られる効果は、想像以上に大きなものだった。

午前はお昼ご飯への期待とその後のシエスタに備えて猛烈に活動し、ひと眠りした後の午後はまるで新しい一日のように爽やか。

シエスタを基点として時間が自由に伸縮し、一日の中に細やかな濃淡が生まれる。

なんて素晴らしい文化なんだ!

日本ではやっかみ半分、茶化し半分に取り上げられがちなシエスタだけれど、これはぜひとも日本にも導入してほしい。

日本に帰ってもシエスタしたいなぁ……。

昼食とシエスタのために一時帰宅した私がそう羨ましがると、イサベルは「てっきり日本人は休むことより働くことの方が好きなんだと思っていた」と大げさに驚いた顔を作った。

そんなことはない!隙あらば休みたい!

イサベルいわく、クエンカでは都心のマドリードに出て働いている人が多く、彼らはわざわざ帰宅してお昼を食べたり昼寝をすることはないそうだ。

職場に午睡の時間があるのかと聞くと、都心にはそんな暇はないとのこと。
このゆったりした生活リズムは田舎で生活を送る人限定なのだと、イサベルは得意げだった。

そんな話がひと段落したところで、お昼ご飯に「Tortilla de patatas」(ジャガイモ入りオムレツ)を作る。まずは、やや深めの小ぶりなフライパンに1〜2センチほどオリーブオイルを注ぎ、そぎ切りにしたジャガイモを揚げるようにして焼く。

ジャガイモを炒める(自宅にて)

火が通ったら皿に移して、あらかじめ割り混ぜて塩コショウと砂糖で味付けしておいた卵6つをフライパンへ一気に投入。
その上からさっきのジャガイモも散らし入れて、しばし待つ。

ふつふつと火が通ってきたら、いよいよひっくり返す。

フライパンの形そのままのこの綺麗な円形オムレツを、いったいどうやって?

イサベルにそそのかされてフライパンを持ったものの、そんな芸当できるわけがない。

シェフのモノマネをしてオムレツを放り上げようものなら、一瞬にしてスクランブルエッグになってしまう。

硬直する私にニヤニヤしながら、イザベルは先ほどジャガイモを移した大きな平皿をフライパンにかぶせて目配せをした。

そうか!わかった!

彼女と目を合わせて頷き、私は皿を手で押さえたままパッとフライパンを返した。
皿に移ったオムレツは上が十分に焼けており、下が生焼けの状態。

これをそのままフライパンに滑らせれば、スムーズに巨大なオムレツをひっくり返すことができる。こうして難なく裏返ったオムレツは、満月のように輝いていた。

スペインオムレツの完成(自宅にて)

綺麗に焼けたオムレツを皿に移してはしゃいでいたら、イザベルが勢いよくそれを真っ二つに切った。

えっ?

彼女は戸棚からバゲットを取り出し大きく切り出すと、パンの脇腹にナイフで切れ目を入れていく。

まさか……そこにオムレツを……?

そのまさかだった。パンの切れ目を大きく開いて、イザベルはできたてのオムレツを挟んだ。巨大なサンドウィッチの完成だ。

バゲットにオムレツを挟む(自宅にて)

でかい……とにかくでかい。

それから……カロリーが怖い。

てっきりオムレツだけだと思っていた昼ご飯が一気にカロリーお化けへと変貌し、私は面食らっていた。

そもそも一人当たり卵3個なんて、コレステロール的にありなのか。

しかもオリーブオイルも相当入れたうえに、仕上げはジャガイモとパンというザ・炭水化物のダブルパンチ。

どう考えても一食で消化していい量じゃない。

そうは思いながらも、どうしても手を止めることができない。

ほっくりと揚がったジャガイモとしっかりした卵。
薄めな味付けでありながら絶妙なタイミングで存在感を示す塩味と、華やかな胡椒の香り。

シンプルな味わいだからこそ、一口、もう一口と恋しくなってしまうのだ。

まあ、いいか。

イザベルと喋りまくっているし、慣れない言語でうんと頭も使っているし。

普段の倍くらいのカロリーを消費していることを信じて、結局全部平らげた。

食べ終えてお皿を洗うと、イザベルはシエスタをとるよう促してきた。

お腹いっぱいで自室に戻り、ベッドに横たわる。

まだちょっと苦しい。

けれど、途方もなく幸福だった。

オムレツサンドのおいしさを反芻しながら満腹を噛み締めていると、ゆるやかに眠気が訪ねてきた。

「食べてすぐ寝ると牛になる」と日本では戒められてしまうけれど。こんなに幸せなら、牛になるのも悪くないかも。